生きることは苦痛だ。
こんなに苦しい・つらい思いをしていても、誰も分かってはくれない。代わってはくれないのだから。
『自分が』今どんなに苦しい思いをしていたとしても、
この苦しい・つらい思いは『自分が』体験しつづけなければならない。
もうこんな苦しい人生はまっぴらだ。今日、終わりにしよう。
今日、今、この瞬間、死ぬか生まれ変わるか、決断しよう。
1.『自分の』苦しみは誰にも理解できない。
当然のことながら、『自分』は『自分』で『他人』は『他人』だ。
『自分』の人生を『他人』が代わりに生きてくれるといったことはできない。
たとえそれが『家族』であってもだ。
『自分の』苦しみは『自分だけ』が体験できる苦しみであって、
『他人』にその苦しみは分からない。
苦しさの想像や心配はしてくれるかもしれないが、
『私の』苦しみは『私だけ』に起こる体験だ。
それを『他人』に代わりに体験してもらうということはできないんだ。
『私が』死にたいと言えば『他人』はきっとこう励ますことだろう。
・「生命は尊いから死んではダメだ。」
・「残された家族が悲しむから生きろ。」
・「生きていればいいことがある。」
・「生きたくても生きられない人がいるから。」
・「皆心配しているから生きよう。」
どの励ましも、たった今、私が体験している
この鬱積とした気分・苦しみ・つらさを消滅させるものではない。
誰も『私の』苦しみを代わってくれることなんてできないのに
どうして「生きろ」などと言えるのだろうか。頭がおかしくなりそうだ。
死にたいくらい悩むとき、誰か一人でもいい、こう言ってほしい。
「自分だけの苦しみ、誰も代わることのできない苦しみに、今までよく耐えた。頑張ったな。もう無理をするな。頑張るな。楽になれ。」
2.『死にたい』『消えたい』。
楽になる方法として、思いついてしまったのは自害することだ。
きっと意識さえなくなれば、こんなに苦しむ必要はないだろう、と。
しかし、その意識をなくすまでの過程では、
凄まじい『恐怖』と『苦痛』を体験することになる。
重く苦しい精神状態のままで、
『自分が』選択した自害の方法を遂行しなくてはならない。
そして、もし自害に失敗してしまったら。
身体もしくは精神に生涯障害が残り、
今よりももっと悲惨な人生になってしまうかもしれない。
そんな体験はしたくない。
そうだ。本当は『死にたい』のではなく、今この場で『楽に』なりたいんだ。
3.『今に在る』ということ。
生きたまま『楽に』なれれば、それが一番いい。
『苦しい』『つらい』からもっと苦しい思いをする『死にたい』などと考えてしまうんだ。
生きたまま『楽に』なるためには、『苦しみ』から解放されるにはどうしたらいいんだ。
『自分を』観察してみるとわかる。
『私が』苦しいと感じるときは、『思考』が『未来』か『過去』に飛んでいる。
・(明日から学校がはじまる、いやだなぁ)
・(会社に行きたくない)
・(この前あんなことを言われたのはつらかったな)
・(自分ってやっぱり●●なんだろうか)
・(もうこういうことは起こってほしくない)
こういう『思考』に支配されているとき、同時に『苦しさ』が生じる。
明日、将来、ひどいことが起こるのではないかと想像をしたり、
以前こんなことがあったと、すでに過ぎ去った悲惨な出来事を思い出したり。
しかし、実際はどうだ。
たった今この瞬間、『私は』PC(orスマホorタブレット)の目の前にいる。
『画面』を見ている。
『呼吸』をしているのを感じる。
『耳』をすませば、人工的な生活音や自然の音が聞こえる。
『手』『腕』『肩』『心臓』『もも』『ふくらはぎ』『足』それぞれの感覚がある。
未来に起こることや過去に起きたこと。
『今』『この瞬間』には起きていない。
『今』『この瞬間』に『私は』在ることに気づいたら、
『苦しみ』は消えた。
やっとわかった。『苦しみ』とは『思考』が生み出したタダの幻想だったんだ。
4.『私』とは誰か。
『苦しさ』は感情のひとつだ。
暗く重苦しい重圧が頭にのしかかってくるイメージだ。
頭の中の声『思考』も騒がしい。
他者への怒りであったり、自己憐憫であったり、自分への非難の声だったり。
『思考』は頭の中を自動でさわがしくしゃべりまくしたてている。
では、この頭の中の声を聞いているのは誰か。
この苦しいという感情を感じているのは誰か。
いわゆるこっちが本当の自分だ。
人間の形をしており、『思考』したり『感情』抱いている自分は小さな方の自分なんだ。
これに気づいたときに『苦しみ』は『自分の』所有物であって、
捨て去ってしまいさえすればよいことにまた気づくんだ。
今、この瞬間に、楽になろう。
おわりに
なぜあなたがこのページに辿りついたのかはわからないが、
今、死にたいほど苦しくつらい思いをしているのかもしれない。
あなたがあなただけの人生の苦しみを感受しつづけながらも、
今日まで生きてこられたことに敬意を表します。
もちろん私があなたに代わって苦しむということはできない。
しかし、このページか、はたまた何か他のきっかけで、
『自分』を見ている『自分』に気づき、
今、この瞬間に、『苦しみ』から解放されるよう祈っています。