And Reframing Things

物事を自分の角度から見るブログ

やる気が出ないときに読むページ(モチベーションを自由に引き出す方法)

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※ここに書いてあることはニューアースの著者なら言いそうなことを記述したものであり、タイトルから想像されるような希望通りの内容とは異なるであろうことは予め断っておきます。

 

1.満たされない想い

「もしモチベーションを自由に引き出すことができるなら」誰もが一度は思うことだろう。お金がほしい、異性にチヤホヤされたい、有名になりたい、痩せたい、仕事ができるようになりたい、これらの悩みは不断の努力で解決できると考え自己鍛錬に励む者もいる。だが、たとえ悩みの一つが解決出来たとしても心は満たされない。いい思いをするのはそれが解決できたときの一瞬だけで、またすぐに次の欲望が頭の中を席捲する。月収100万円の次は月収1000万円を目指す!もっと綺麗になる!次は○○とのコネクションを持つ!もっと痩せる!もっと事業を増やす!満たされたはずの欲望が産み出すのはまた次の欲望で、無限に努力をすることができれば解決できるかに思われた全ての問題は、努力で解決することによってまた肥大化していく。

また、努力しても望み叶わず、夢を見ることを諦め、欲望を捨てたフリをして、卑屈になったり、後向きになったりする者もいる。だがその実、欲望を捨てきれてはいない。その証拠に自分にない物を持つ人、自分よりも優れていると思う人と相対したときの妬みや嫉妬、羨望の感情が抑えられない。捨てたはずの欲望は自分の目から覗く歪められた他者像によって顕になる。根底に欲望が流れている限り、そのモチベーションの起点が欲望である限り、努力しようとするまいと、充たされない想いを持ち続けることにかわりはない。

 

2.聞いているのは誰?

終わりない欲望と充たされない想いに疲れ果て、人としての役割を終えてしまう者もいる。強迫観念とも呼べる止め処なき欲望。もう終わりにしてくれ、こんなに苦しいのは限界だ、なぜ誰も助けてくれない、もうこんな自分といるのは嫌だ。激しい思考と感情が嵐のように巻き起こり、もう自分ではどうしようもないというところまでくると、ふと気づく。「この頭の中の声を発しているのは私だが、じゃあ聞いているのは誰なのだろう?」。70億人いる地球人口の中で、森羅万象あらゆる生命がひしめくその中で、なぜかこの私の思考と感情の観察している存在、気づき。この無形の主体に気づくときそちら側は無敵であることも同時に気づく。この私は主体に観察されているいわばゲームの主人公、夢の中の登場人物のようなものに過ぎない。幻夢のような存在のこの私が持つ欲望や苦悩などなぜそんなに拘る必要があったのか。物語として楽しむだけでよかったのである。

 

3.海亀の剥製の話

友人とバーに出かけた時のことである。10人ほどが座れるL字のカウンターの隅っこの壁に海亀の剥製が飾られてあった。海亀は一生を大往生し心満意足したようなとてもよい表情をしていたので、私は友人にこう聞いてみた。「この海亀を見てたやつはどこ行ったんだろうね。」すると友人はこう切り返してきた。「お前は何を言ってるんだ。」

観察者と被観察者については伝わらなかったが、友人の回答は正しい。私が海亀を見てるのではなく、主体が私を通して観ているのだ。孤独を感じるとき、全体であることにもまた気づくのである。

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「君が夢を見ているんじゃない。君が夢なんだ。」FINAL FANTASY X バハムートの少年のセリフより

 

4.モチベーションを自由に上げる方法

未来や過去、地位、名誉、美貌、お金などのために努力するとき、まだ私が私だと思っている。人としての私は孤独で不完全で老化は止められず、その不完全性を満たすための何かを手に入れたと思っても、形あるものは全て諸行無常で次はそれを無くす不安に駆られることになる。人としての私は重要なのだ。

一方、アイデンティティが私を観ているそれ自体に移行したとき、人としての私は幻夢のような存在に遷り変わる。夢の中で手に入れたり失ったりする未来や過去、地位、名誉、美貌、お金など重要ではないだろう。今目の前に起こっていることと戯れる、ただそれだけのことだったのである。ただただ現象と戯れるとき、喜びや楽しさや幸福はより一層有形の世界にも溢れ出る。これが真のモチベーションなのだろう。

 

おわりに

ふとこういうの書きたい思うて書きました。なんかやっぱりわかりづらいな。でも、伝わる人にはすごく伝わると思います。それよりカラオケにでも行きませんか。

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