あんりふ!

スマホ、タブレット、PC、Amazon、Windows etc...お得情報やHow toブログ

『死にたい』『消えたい』と思ったときに読むページ

生きることは苦痛だ。

こんなに苦しい・つらい思いをしていても、誰も分かってはくれない。代わってはくれないのだから。

『自分が』今どんなに苦しい思いをしていたとしても、

この苦しい・つらい思いは『自分が』体験しつづけなければならない。

 

もうこんな苦しい人生はまっぴらだ。今日、終わりにしよう。

今日、今、この瞬間、死ぬか生まれ変わるか、決断しよう。

f:id:ahiru8usagi:20150901004924j:plain

 

1.『自分の』苦しみは誰にも理解できない。

当然のことながら、『自分』は『自分』で『他人』は『他人』だ。

『自分』の人生を『他人』が代わりに生きてくれるといったことはできない。

たとえそれが『家族』であってもだ。

 

『自分の』苦しみは『自分だけ』が体験できる苦しみであって、

『他人』にその苦しみは分からない。

苦しさの想像や心配はしてくれるかもしれないが、

『私の』苦しみは『私だけ』に起こる体験だ。

それを『他人』に代わりに体験してもらうということはできないんだ。

 

『私が』死にたいと言えば『他人』はきっとこう励ますことだろう。

・「生命は尊いから死んではダメだ。」

・「残された家族が悲しむから生きろ。」

・「生きていればいいことがある。」

・「生きたくても生きられない人がいるから。」

・「皆心配しているから生きよう。」

どの励ましも、たった今、私が体験している

この鬱積とした気分・苦しみ・つらさを消滅させるものではない。

誰も『私の』苦しみを代わってくれることなんてできないのに

どうして「生きろ」などと言えるのだろうか。頭がおかしくなりそうだ。

 

死にたいくらい悩むとき、誰か一人でもいい、こう言ってほしい。

「自分だけの苦しみ、誰も代わることのできない苦しみに、今までよく耐えた。頑張ったな。もう無理をするな。頑張るな。楽になれ。」

 

2.『死にたい』『消えたい』。

楽になる方法として、思いついてしまったのは自害することだ。

きっと意識さえなくなれば、こんなに苦しむ必要はないだろう、と。

 

しかし、その意識をなくすまでの過程では、

凄まじい『恐怖』と『苦痛』を体験することになる。

重く苦しい精神状態のままで、

『自分が』選択した自害の方法を遂行しなくてはならない。

 

そして、もし自害に失敗してしまったら。

身体もしくは精神に生涯障害が残り、

今よりももっと悲惨な人生になってしまうかもしれない。

 

そんな体験はしたくない。

そうだ。本当は『死にたい』のではなく、今この場で『楽に』なりたいんだ。

 

3.『今に在る』ということ。

生きたまま『楽に』なれれば、それが一番いい。

『苦しい』『つらい』からもっと苦しい思いをする『死にたい』などと考えてしまうんだ。

生きたまま『楽に』なるためには、『苦しみ』から解放されるにはどうしたらいいんだ。

 

『自分を』観察してみるとわかる。

『私が』苦しいと感じるときは、『思考』が『未来』か『過去』に飛んでいる。

・(明日から学校がはじまる、いやだなぁ)

・(会社に行きたくない)

・(この前あんなことを言われたのはつらかったな)

・(自分ってやっぱり●●なんだろうか)

・(もうこういうことは起こってほしくない)

こういう『思考』に支配されているとき、同時に『苦しさ』が生じる。

明日、将来、ひどいことが起こるのではないかと想像をしたり、

以前こんなことがあったと、すでに過ぎ去った悲惨な出来事を思い出したり。

 

しかし、実際はどうだ。

たった今この瞬間、『私は』PC(orスマホorタブレット)の目の前にいる。

『画面』を見ている。

『呼吸』をしているのを感じる。

『耳』をすませば、人工的な生活音や自然の音が聞こえる。

『手』『腕』『肩』『心臓』『もも』『ふくらはぎ』『足』それぞれの感覚がある。

 

未来に起こることや過去に起きたこと。

『今』『この瞬間』には起きていない。

『今』『この瞬間』に『私は』在ることに気づいたら、

『苦しみ』は消えた。

やっとわかった。『苦しみ』とは『思考』が生み出したタダの幻想だったんだ。

 

4.『私』とは誰か。

『苦しさ』は感情のひとつだ。

暗く重苦しい重圧が頭にのしかかってくるイメージだ。

頭の中の声『思考』も騒がしい。

他者への怒りであったり、自己憐憫であったり、自分への非難の声だったり。

『思考』は頭の中を自動でさわがしくしゃべりまくしたてている。

 

では、この頭の中の声を聞いているのは誰か。

この苦しいという感情を感じているのは誰か。

 

いわゆるこっちが本当の自分だ。

人間の形をしており、『思考』したり『感情』抱いている自分は小さな方の自分なんだ。

これに気づいたときに『苦しみ』は『自分の』所有物であって、

捨て去ってしまいさえすればよいことにまた気づくんだ。

 

今、この瞬間に、楽になろう。

 

おわりに

なぜあなたがこのページに辿りついたのかはわからないが、

今、死にたいほど苦しくつらい思いをしているのかもしれない。

 

あなたがあなただけの人生の苦しみを感受しつづけながらも、

今日まで生きてこられたことに敬意を表します。

 

もちろん私があなたに代わって苦しむということはできない。

しかし、このページか、はたまた何か他のきっかけで、

『自分』を見ている『自分』に気づき、

今、この瞬間に、『苦しみ』から解放されるよう祈っています。